ゆうの人生の学校時代を振り返ってみた
昨日でN高のスクーリングを終え、今日はただただダラダラしてました。
こんばんは〜〜ゆうです!
インターン募集みたいなので、自分の経歴をかく場面があったのでもうブログにしちゃいました。
小学校時代
└習い事は、水泳・テニス・空手・ピアノ・なぎなたをしていた。
私の学校は、話し合いばっかり(丸一日話し合いとかもザラにある)
で、意識高い人が多く、正義感の強い、まっすぐ正しいことを貫く人が多かった。
だからヤンキーみたいな人もほとんどいないし、中学校に入って小学校の厳しさにびっくりするほどだった。
自分もはじめは、「音楽会とかで本気出さない人がいる」という話し合いの時に、
「変わりたい成功させたい!!」みたいなこと言ったり、話し合いでは毎回意見出していたり、授業では毎回挙手したりしていた。
でもなぜか、最後は半問題児みたいになった。
ひどいけどちょっとおもろかったのは、
先生の悪いところを書いた日記を提出したら、テレビに映し出され、先生が一つずつ解説?返事?みたいなんをHR授業みたいなんでみんなの前でやってたこと。笑
今思えば、あの時の先生は毎日朝から晩まで生徒同士の問題に付き合い、話し合いしていた。生徒に対する熱意はすごかった。
何回も先生は生徒と話して涙を流していたし、本気でぶつかっているように見えた。
細かいし!うるさい!きもい!とか思ってたけど、教師にはたっくさんの仕事があるって知って、あれは先生だからやってたわけじゃないんだなって気付いた。
あんな教育は今はそうそう見ないなと、教育に興味を持つ今、思う。
中学校時代
└高校受験が一番大きかった。
1年生の時、めちゃくちゃ頭が悪く、偏差値30だと言われた。
自分がここだけは行きたくないって言っていた高校すら努力圏だと言われていた。
でも、3年生の時、どうしても行きたい高校が見つかる。偏差値60を超えていた。初めて本気で打ち込むようになった。
朝から夜までトイレでもお風呂でも登校中も勉強して、毎日塾の自習室で勉強し、本気で受かろうとしていた。
周りの人はみんな揃って馬鹿にしたが、応援してくれるようになった。最後の試験結果はC判定になった。結局不合格だったが、この時の頑張りは自分の人生のはじめのターニングポイントになった。
高校時代
└1年生の時は、写真部に入り、カメラに夢中になっていた。
英語が喋れるようになりたくて、休みの日には1日5時間勉強していたり、道頓堀で外国人に話しかけに行ったりもしていた。
└2年生の時には、部活では副部長になった。(半年くらいで部活を辞める)
短期留学でオーストラリアに行った。英語は喋れなかったが、喋れるようになるには喋るしかない!と思い、ずっと喋っていたので友達がたくさんできた。
TABIPPOという会社の学生スタッフを始めた。
イベント企画や集客、他団体との営業、SNS強化をしていた。
集客では1年で約200人した。いろんな大学に行って声かけしたり、自分の学校で話しかけまくったり。
Twitterは、イベント周知のためにどうしたらもっと多くの人に知ってもらえるか、フォロワー少なかったらそもそも意味ない、どうしたらフォロワーが増えるか、って考えて投稿したり、地道にフォローしたりしていた。
自分の年の支部のTABIPPOイベントが全て終わった3/4の時点で、始まって10ヶ月、最初からプラス1800人ぐらい増えた。
(TABIPPO終わってインドに行ったら2週間で600人ぐらい増えた。今までの地道な頑張りはなんだったんだw)
大学受験勉強や、8時間授業が週2である学校との両立など、すごく忙しかったので時間の使い方などを学んだ。
尊敬する人に囲まれ、成長意欲が止まらなかったので、講演会やセミナーに行ったり、ビジネス本を読んだり、ブログを書いたりしていた。イベントの手伝いに札幌や香川県にも行った。
ヒッチハイクも経験した。
そんな活動をしていると、大学進学に価値を感じられなくなり、大学進学を辞める決断をする。
後半では、教育に疑問を持ち、自分の高校に行く価値を感じられなくなり、高校を辞めてインドへ。初めての旅で、人生楽しい!!と初めて感じた。「日本人は将来しか見ていない」というブログを書いたりもした。
日本人はリスクを恐れて保険ばっかりかけて、不安なことには変わりないのに今を見ず、気付いたら大人になっている。
そんな人生は自分は嫌だという内容。
4月からは、新しい教育法に惹かれ、N高に編入した。
N高の先生の授業は今までの先生の中で一番惹き込まれるような素晴らしい授業で感動した。
生徒への態度もすごかった。学校の先生はしんどそうで、お金のために授業をしているように見えていたし、
疲れていたが、N高の先生はすごく、楽しそうだった。
そして今は、デザインに興味があり、Twitterでアフリカメディアを創っている人がやろうと言っていた、アフリカのアパレル事業をはじめたところだ。
よく思い出してみると結構いろんなことがあったな〜と。
みんな同じ背景じゃないから、みんな違う今があるし、みんな違う将来があって、
同じ出来事が起こっても違う捉え方をする。
面白いな〜。
「みんなが自分の好きなことをやったら日本終わる」
ってよく聞くけど、逆にみんな自分の好きなことをやらないから終わるんじゃないかなあ。
日本オワコンとかいうのも、みんな違う!じゃなくて同じにしなきゃ!みたいなんで「自分はこれが好き」とかの感情抑えて無理に社会に合わせるからじゃないんかなあ。
「やらなきゃいけない」、ことが多すぎる。
知らんけど。
変な終わり方になっちゃったけど!読んでくれた人ありがとうございます!!