SNSは頭でっかちの集まりだ
Twitterしてたりイベントとか行ってたりし始めてから
「なにかしてなきゃいけない」状況が続いてる
いい意味でも悪い意味でも。
学校いってるよバイトしてるよ〜だけじゃ通じない感がある
何者か、何がしたいか、自分のことを理解して行動してなきゃってなる
気にし過ぎなだけかな
いつも焦ってる
これは、私が昨日投稿したツイートだ。
そして今日、引用RTでこんな意見をもらった。
とても同感。ご本人は“悪い意味”という言い方されてるけど、ぼくよりも若い世代の人たちがこうした抑圧や切迫感を社会的成果やsnsなどを通じて感じる事は今後も増殖するだろうな。この“悪い意味”から逃れられることは困難で、当然ぼくらはそれとどう向き合うかを考えなきゃいけない。
今までは、
高校を卒業→大学卒業→新卒で会社勤務→結婚→子供が生まれる
が「当たり前の幸せ」であり、それはいつからか形成された道だったように思う
だからこの道が当たり前だと思って生きてきた親や先生は道から外れることを恐れる。
この道以外の生き方を多く知らないからだと思う。
でも、最近は少し変わってきたように感じる。
ホリエモンや箕輪さんがいうような。
そんな人たちが有名になる程、時代は変わってきているとも思う。
AIにより仕事がなくなり、プログラミングとか、どこにも属さずにも稼げるスキルを持つ人がこれからも生きるという。
信用がお金になるという。
こういう変化に、自分で突き進める人にとっては、すごく嬉しい変化だと思う。
もう道なんてなく、好きなことができる。
「やりたいことをやろう」「好きなことで稼ごう」
そんな生き方がこれからの当たり前になるかもしれない。
シンプルに考えると、すごく自然で、人間らしい生き方だとおもう。
当たり前の道に囚われて、みんな違うのにみんな同じ道に進むことによって苦しむ人なんて沢山いるはずだから。
「当たり前の道」に適応できない自分を責めてしまうと思う。
みんなみんな、幸せに感じるものは違うはずだ。
学校に行くことが幸せだと感じる人もいれば、学校以外のことに幸せを感じる人もいる。
「私は学校以外の時間が好きだから学校いかない」なんて生き方が人間らしくて何もおかしくない行動だけど、そんな生き方をしている人がいないのに行こうとする人はすごい少ないとおもう。
でも、増えると思う。SNSをよく見る人たちから変わりだすと思う。
自由でいいんだよと言うことは、それに救われる人も苦しむ人も出てくる。
色々活動しているツイッター上のアカウントを見つけると、焦る。
自分には何もないじゃんと。
どの生き方も成功も間違いも、絶対にない。
昔の(ていうか今?)生き方なら、
決められた道に進むのがきつい人からしたらしんどかったと思う。
勉強してれば「〜大学」「大企業勤務」などの肩書きがもらえ、その肩書きがその人の評価に繋がっていたのに、どんどん、好きに生きろ、みたいな世間になると、
それはそれでしんどい。
道を作らなきゃいけない。ただ生きているだけじゃいけないような世間になっている。
だから、学校に行く価値がないと思うような私のような人はやめることによって、
SNSによって、自分の生き方も肯定してもらえる。
前も今もいつでもしんどい人がいる
これは仕方なくないのか。
私のような「自分は何ができるんだ」「何が好きで」「何が得意で」「将来の夢は?」「何がやりたいんだろう」「最近自分は何してるの?」「どうやって稼ごう」
いい意味でも、悪い意味でも、選択肢は増えた。
選択肢が増えたことによって、苦しむ人が増えたのは間違いない
何に一番問題があるんだろうと考えた
今のところの私の考えは
考え方がわからない、かな。
私みたいに、選択肢が多すぎて、情報が多すぎて、頭でっかちになってしまう人がこれからも増え続けると思う。
そして結局、自分がわからなくなるんだ