インドの寝台列車で人生を考えてみた
こんにちは!ゆうです。
今私はインドにいるんですが、2日目にして初めての寝台列車に18時間乗っています!
2時間程ずっと外を眺めている時間に感じたことを書きます。
見たことのない景色が広がる。
インドの田舎は何時代か?ってくらいの田んぼや草原に牛が歩いている。
そんな草原の真ん中でぼーっとしているおばあさん、丸い円になったり走ったり飛んだりして遊んでいる子供たち、手を振ってくるお兄さん。
どんな気持ちなんだろう?何を考えてるんだろう?
そして自分は何を焦ってきたのか?
最近の自分は何か生き急いでいる。
『あの人はすごい』から『負けたくない』と。
何を比べていたのか?
広い草原を眺め泣きそうになった。
誰かにとっての日常は非日常で
誰かにとっての非日常は日常である。
同時に
誰かにとっての当たり前は誰かにとっての当たり前じゃない。
誰かにとっての常識は非常識だ。
正解も不正解もない。
生き方のルールなんてない。道なんてない。
好きなように生きろ!
好きなものが好きでいい。
好きで溢れた人生を。
こんなに大きな世界で自分の価値を見出すには
『やってみる』に限る。
自分が生きる意味。それは親の言うことを聞くことじゃないし安定を求め好きなことを我慢することじゃない。不安でも正解かわからなくても取り敢えずしたいことをする。
インド怖いけど『行ってみよう。』
学校辞めるの怖いけど『辞めてみよう。』
決断に決断を重ねたから今自分はここにいるんだと。
大きな決断には覚悟が必要。
でも怖いからとなにも動かないんじゃこの大きな世界で自分はなにも見いだせない。
『何か面白いことないかなあ』『やりたいこと見つけたいなあ』ではなく、
自分が見つけに行かなきゃなにも見つからない。
何かを得るには何かを捨てなければいけない。
失うものが大きいほど大きなものを得られる気がする。
沢山の人がいる、その中で自分は1人しかいない。
そんな自分がやりたいことをやろう。
してみたいならしてみよう。
『自分が、自分の人生が、だいっっすきだ!』と噛み締められるような人生を生きよう。
100人いれば100通りの生き方がある。
みんなこうしてるのに1人はこわい、、と自分を抑えている必要はあるのか?
失敗した人が多いと聞く。だから自分も失敗するのか?
人が言うことが全てじゃない。
親が、先生が、友達がやめとけっていう。
何も聞くつもりはない。
自分にしかできないことがある。それは目の前がキラキラする程ワクワクに溢れたもの。
『えええ!やってみたい!!行ってみたい!これになりたい!!』
でも考えたことを人の意見で抑えてしまい行動を起こせなきゃ0だ。
そして自分の可能性を最後まで信じ続けたい。
怖いけど自分ならできる!と根拠の無い自信を持つ。
取り敢えずやってみる、何もかも。
失敗しても成功しても『自分』をカラフルにさせる絵の具になる。面白くなる。
どんな生き方をしようか?
ある日友達に聞かれた。
『こんな夢持ってるんだけどどうかな?』
夢を現実にするために何かしているのか?
夢は夢のままになってないか?
『将来に囚われて今を生きれてないんじゃないか?』
『今』やりたいことをやろう。
早くも遅くもない、タイミングなんてない。
自分に素直に真っ直ぐに。自分で選んだ人生を生きる。私のモットーを、もう一度噛み締めた。